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【店長ブログ】 井野碩哉(ひろや)と戦争
井野碩哉(ひろや)と戦争


今月のワインリストの写真は、どーんと井野碩哉(ひろや)農林省局長時代の肖像。お客様からこの男は?と問い合わせもちらほらございます。せっかくなので、井野碩哉について少々。

私の祖父、井野碩哉の自伝「藻汐草」で、歴史的資料としての価値があるのは、やはり日米戦争(第二次世界大戦)に関する記述だろう。じいさんは元東條内閣閣僚という戦争を始めた側の人間だから、戦争については何を語っても言い訳にしかならん。と思う。例えば、軍の暴走を苦々しく指摘するが、止められなかったんかい?!とツッコミ入れたくなるし。ただ、戦争の背景には「昭和恐慌」があり、それは私も歴史の基礎知識として頭にある。自伝ではこう語られている。軍とは、つまり農村のせがれたちなのだ、と。自分の家族がいくら米を作っても米が食べられない。姉妹が身売りして家族を支える。そんな状況に彼らは「動揺し」ていた。じいさんは、当時の政治について「政府は無為無策で、政党は己れの権益をむさぼることのみで国政を顧みない。特に政友会と民政党は政権争いに血道をあげ、国政の大綱である経済問題、特に農村問題が悪化の一路をたどりつつあっても、放置状態であった」と嘆く。

じいさん自身はどうだったか。一言でいえば、「統制経済の旗手」で、業界の反発にあいながら市場への介入をあれこれ試みる政治家だった。「民間に自由放任にすると、生産は計画どおりに進まず、配給も公平を欠く。」とは言え、どう手を打っても焼け石に水なのが「恐慌」の「恐慌」たるゆえん。

満州国建国には直接関わらなかったが、不況打開になればと期待し、ある程度効果があったと評価もしている。確かに、満州国は急激に増加する貧困農民の受け皿にはなったろうが、一方で「日本国内における青年将校たちの不満のはけ口のあらわれであった」ことも無視できない。軍は満州国の内政に干渉し、中国への侵略を進めていった。自伝にもはっきり「侵略」とある。軍のクーデターであった、とも。軍が他国に足を踏み込れたのだ。そりゃいきさつはどうあれ、外から見れば(内から見ても)りっぱな「侵略」だろう。

中国への侵略をやめない日本を欧米は叩いた。日米戦争をかいつまんで説明すればそういうことになる。そりゃ、ヨーロッパだって植民地があったわけだし、国家どうしで領土をとりあったわけだから、日本だけを悪者にするのはおかしいかも知れない。が、近代戦の実態が無差別大量虐殺であることに変わりはない。国家にどんな「思い」や「事情」があろうとも、殺されるのはその土地の住民であり、徴兵された兵士たちである。だから私はあらゆる国家に対して戦争反対の立場をとる。

そのことを踏まえた上で、じいさんの自伝を読む。興味深い点はいくつかある。まず、じいさんが戦争に消極的だったのは確かだ。戦前、これは「極秘情報」だったらしいが、近衛首相とアメリカのルーズベルト大統領の太平洋上の会見が予定されていた。それが実現されていれば「と、私は今更ながら残念でならない。」じいさんの見解では、宋美齢(蒋介石夫人)の横やりが入り、それが会見が流れた「原因のひとつ」になった。「日本はなんだかんだ言ってるが、侵略戦争をやめる意志はありませんよ」と米国に吹き込んだというのだ。

とは言え、日本中がすでに開戦のムード一色だった。じいさんはそれも戦争の原因にあげている。政治家として無責任な態度にも思えるが、まあファシズムとはそういうものだ。どんなに正論っぽく思えても、世の中がそれで一色になるということ自体、危険なことだ。今の日本にもその気配はある。気をつけねば。

しかし、総理に陸軍大臣の東條英機が任命されたのが何より決定的だった。彼を推薦した木戸幸一に、じいさんは真意を尋ねた。陸軍大臣なら軍の意向に従う、しかし総理なら他の色々な意見に(当然、交渉論もあった)耳を傾けなければらならない。それで「彼の開戦論の矛先が鈍るのを狙ったのさ」というのが木戸のよみだが、はずれた。

また開戦について、じいさんは昭和天皇に農林大臣として意見を求められている。「3年間はだいじょうぶであります」と答えてしまった。いや、全閣僚が天皇にはっきりと反対意見を述べられなかった。自分たちの責任だ、とやけにしおらしい。天皇崇拝者だったせいか、どうも天皇には何の非もなかったとかばっているフシもある。私が反天皇制だからそう思うのかも知れないが。

敗戦直後、臨場感あふれるシーンがある。ラジオで戦犯容疑者の指定発表があった後だ。知人に「大事なときに使ってください」と渡されたものがある。何だかわからないけどありがとうと礼を言って、帰宅してくつろぎながらあけてみると青酸カリだった。その夜、じいさんは役人時代からの恩人、石黒忠篤に電話している。ラジオでは、まさに文相が青酸カリで、厚相が割腹で自殺したことが報じられていた。私も今、と相談したのだ。石黒は「馬鹿野郎!」と怒鳴り、開戦前から閣僚をしていた人間が何を考え何をしたのか、堂々と説明してから殺されればいいと叱ったという。

獄中のエピソードは、不謹慎だがモノクロ映画を見るようだ。ここでどのくらい拘束されるか、じいさんと賀屋興宣は賭けをしている。二人は何かと言えば賭けをした。敗者が勝者にタバコ(1日3本支給される。ちなみに銘柄はラッキーストライク)を譲るのだ。賀屋は「まあ、十年ぐらいだろうね」とあっさり答えた。じいさんは楽観論者賀屋らしい発言と思った。当然、刑死を覚悟しているからだ。しかし百歩譲って「終身懲役」とした。

そんなことで気をまぎらわせなければいられないほど獄中生活は退屈だった。じいさんが獄中で賀屋や巨人軍オーナー(読売社主)の正力松太郎と碁に明け暮れたのは有名な話だが(その棋譜は、雑誌「棋道」に掲載された)、碁盤と碁石を差し入れてもらうには、アメリカの将校にジェスチャーまじりで伝えなければならなかった。

夜は賀屋のいびきに悩まされた。本人に了解を得て、彼の足に紐を結んだ。寝台は離れていた。賀屋がいびきをかきはじめると、じいさんは紐をひっぱった。いびきは一時休止した。

話題が尽きると女の話になった。ある日、賀屋がさっぱりした顔で「井野君、女に会ったよ」と言う。「どこで?」‥そのまま引用する。「いや、女の理髪屋なんだ。やはり男とは違ったものを感じるなあ」賀屋氏は眼を細めて満足そうだった。今度は私の番だ、なんとなく胸が躍る。急ぎ足で飛び込むと、そこに六十近い婆さんが待っていた。やがて部屋に戻った私は、やはり女に接したという気持ちに充たされてきた。賀屋氏と私は、微笑してうなずき合った。‥

東條のピストル自殺未遂事件は狂言説が根強いが、じいさんは東條が医師に頼み心臓の位置に印をつけてもらったという話を獄中で本人から聞いている。死ねなかったことを「運が悪かった」と恨む東條に嘘はなかったとしている。

戦争から少しはなれたエピソードも2、3紹介しよう。

じいさんは最初、大臣のポストを「親の遺言」という理由で断った。よく使う手?いや、じいさんのお母さんが、息子の写真をある骨相学に秀でた高僧に見せたところ、「おもしろい骨相だ。大臣かそれぐらいの地位につく」と予言されたそうだ。お母さんは喜ばなかった。五・一五事件、二・二六事件で大臣が殺されるのを見ているから。死ぬ前に、農林次官になったばっかりのじいさんに「大臣だけにはなってくれるな」と言い残した。「心配はいりません。なれっこありませんから」そう答えたそうだ。

じいさんは、自民党の言わば遊び部門顧問だった。元々、じいさんの両親は株の相場師(仲買人)。兜町で店を開いて当てた。と言っても、手数料だけでは経営が成り立たず、自ら相場を張った。使用人たちも右にならえで、一発儲けると一晩でパァ~ッと使った。ところがじいさんのお兄さんは厳格な人で、遅くなると店の戸を開けなかった。困り果てた道楽者たちは、幼いじいさんを連れ出すようになった。弟が一緒では、お兄さんもしぶしぶ戸を開けざるを得ない。その頃から花街はじいさんの安らぎの場だった。

大臣になって、みんながちやほやしてくれるのは悪くなかったが(そう思えるのも最初の一週間)、一番難儀なのは護衛をつけられたことだ。自宅の門前に「交番のようなものをつくって、二人で日夜交代で番をしてくれる。車で行くときはいっしょに乗ってくる。そんな調子で護衛は一時も離れない。」だから夜遊びするには、護衛をまかなければならなかった。

気が合ったのは、道楽仲間の有馬頼寧。「殿様ながら、プロレタリア思想を理解し、庶民的で、日比谷公園の草むしりまでやった人」「貴族院議員だがリベラルな思想家」。じいさんの自伝に「プロレタリア思想」という言葉が(好意的に)出てくるのにはビックリした。ただ昔は、体制側でも経済をやる人は‥特に「恐慌」問題は‥マルクスを避けて通れなかったというから、不思議ではないのかも。

じいさんの道楽は酒や芸者遊びだけではない。ゴルフにテニス、野球、競馬と多岐にわたった(自分でゴルフ場や競馬場をつくったほど)。ゴルフ発祥の地と言われるセント・アンドリュース・ゴルフ場(ロンドン)の前を通りかかったとき。じいさんは中にいきなり入り、ゴルフをやらせてくれと頼んだ。案の定、予約でいっぱいだった。日本にゴルフを普及するからとか何とかダダこねて(日本ではまだ一般的じゃなかった)ゴルフ場のマネージャーを困らせるが、一緒にいた木戸幸一が「お昼休みはないの?」と機転をきかせた。お昼はつかの間だが、あくとのこと。やっと許可を得て、二人で飛ぶようにコースに出た。そこで棒がふれさえすればよかった。にもかかわらず、じいさんは木戸のゴルフに「おもしろくない」とケチをつけている。「少しもミスがない」と。ゴルフとは、相手の失敗に爽快感を覚えるものだ、と妙な持論(負け惜しみ?)を展開している。まあ、道楽者と言えば道楽者らしい発想だ。当たっても外れても豪快にいきたいのだ。日本人の身体にセント・アンドリュース・ゴルフ場は大きく、なおさら木戸のゴルフがちまちま見えたのかも知れない。キャデーに子供と間違われたとか。昭和天皇はその話にメチャうけたそうだ。

井野碩哉と言えば、国会で女性問題を追及された大臣として有名だった。じいさんには懇意の芸者さんがいた(晩年、事実上の妻になった)。それは大臣としてふさわしいことなのか?品位を問われたのだろうが(じいさんによれば、失脚狙いだった)、じいさんは「プライバシーの問題」と突っぱねた上で「人情の上から、今更やめることもできない。東條氏からは、できたら別れてもらいたいという話があったが、私は別れるくらいなら農林大臣を辞めます、と言ったことがある」と開き直った。大臣より女をとるのか?不真面目だと問題にされてもおかしくないが、「おもしろい男」という評価に落ち着いた(失脚もしなかった)のは、人徳(キャラ)なのか?時代なのか?

じいさんのつくった競馬場とは、大井競馬場のことである。じいさんが初代社長だった。そのときの経験が、新宿駅ビル(現ルミネエスト)創設時にも生かされた。例えば、歩合制の家賃とか‥競馬を運営するのは競馬場自身ではなく、公共団体とか地方団体である。駅ビルで商売するのはテナントだ。テナントにしてみりゃ、家賃が固定でなく歩合なんて、商売なめてんのか!と言いたいところ。ただじいさんも必死で、近くに停車場つくったり、公平な運営を心がけて馬主の信頼を得たり、全体のレベルアップにつとめた。売上も飛躍的に伸びた。必然的に競馬場の収入も増え、施設を更に改善・増設することができた。それなら(つまり、多く取られてもちゃんと還元されるなら)納得がいく。

じいさんから受けたアドバイスが一つだけある。よく遊べ。でなければ、よく働けない。じいさんの人生そのものを表す言葉である。

(ベルク店長 井野朋也)

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井野碩哉(いのひろや)のアルバム
http://zoome.jp/whiteproduction/diary/380/


賀屋興宣(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E5%B1%8B%E8%88%88%E5%AE%A3

石黒忠篤(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E9%BB%92%E5%BF%A0%E7%AF%A4

有馬 頼寧(ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A6%AC%E9%A0%BC%E5%AF%A7

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by bergshinjuku | 2011-02-16 01:34 | 店長ブログ
【店長ブログ】 ご報告
ご報告

日本のトップダンサーであり、作家であり、当店のお客様でもある牧瀬茜さんが、昨年の12月に店内で壁の展示(伝説的なストリップ小屋の写真)に捧げる素晴らしい踊りを即興的に演じて下さいました。
そのことでルミネエスト(店長)さんから「契約解除を検討せざるを得ない」と警告書をいただいています。どなたの迷惑にもなっていないのに(むしろ絶賛の嵐)、牧瀬さんの踊りのどこに違法性があったのか。どこが(当店との)契約違反にあたるのか。具体的にお教えいただきたい、と私どもも質問状をお送りしました。そのお返事が昨日届きました。
残念ながら、前回と同じことを繰り返すのみでお返事にはなっていません。牧瀬さんのご職業(ストリッパー)と身なり(ルミネエストさんは「下着姿」と言い張りますが、牧瀬さんは最後までご自分の衣装を身につけてらっしゃいました)がケシカランの一点張りです(文書では「秩序を乱した」とあります)。
しかし、いくらビルを管理する立場にあるからといって、お客様のご職業や身なりまで問題にされるのは行き過ぎではないでしょうか?


ベルク店長 井野朋也

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by bergshinjuku | 2011-02-03 22:00 | 店長ブログ
ルミネさんから届いた警告書への質問状 #BERGjp
ルミネさんから届いた警告書への質問状


昨年の12月17日と18日、牧瀬茜さんのベルクにおけ
るパフォーマンスに関して、ルミネエスト店長木村氏
より、下着姿のストリッパーが公衆の面前で踊ったこ
とを問題とする(契約解除を前提とする)警告書が私
=ベルク店長宛に届けられました。牧瀬さんはうちの
お客様でもあり、展示された写真に捧げる踊りをして
下さいました。ご職業がストリッパーであるのは確か
ですが、その時は下着姿ではなく、最後まで舞台衣
装を身につけていらっしゃいました。その旨、お返事す
ると、前回と同様再警告書が届けられました。言い訳
するな、秩序を乱したことに変わりはない、と。それ
に対して、質問状をお送りしました。↓


質問状


前略 用件のみ取り急ぎ申し上げます。

貴社からご指摘いただいた「イベント」について、貴社から再警告書をいただきましたが、イベントと申しましても、店で明確に日時等を告知した訳ではなく(そのために人を集めた訳ではない)、ましてや入場料を徴収した訳でもありません。リハーサルをした訳でもない。あくまでもその場で、その場にいらっしゃる他のお客様のご了承を得た上で、お客様がご自分の衣装でその場の空気に合わせ、余興として踊られたまでです。それはその場にいらっしゃっるお客様と店による自然発生的、かつアーティスティックなアクシデントと申し上げるより他ありません。現場を管理する立場として一番気をつけたのは、他のお客様のご飲食の妨げ、ご通行の妨げ、近隣のお店の営業の妨げにならないようにすることでしたが、その点におきましても何ら問題なく、それほどそのお客様の踊りとそれを見守る周囲の雰囲気は厳粛で完璧でした。そのお客様が衣装のまま一瞬店頭に出られたのは確かですが、それによる混乱も一切ありませんでした。「秩序を乱した」どころか、美しく創造的な秩序が奇跡的にもたらされた瞬間でした。そのどこに違法性があり、どこが契約違反にあたるというのでしょう?また、店側がいかなる基準でそれを規制する必要があったのか。これは弁明ではなく、素朴な疑問です。この件で貴社から警告書が届いておりますことを直接あるいはホームページ等でお客様にご報告していますが、同様の驚き・困惑・疑問の声を多数頂戴しております。お客様にご納得、ご安心いただくためにも、ご多忙のところ誠に申し訳ございませんが、今月中に前述の疑問に対しまして、お返事いただきたく存じます。

貴社から誠意ある回答をいただけることを、心より期待しております。


不一


牧瀬さんには、このようなメッセージを送らせて
いただきました↓

<ルミネエストの店長さんは牧瀬さんの踊りが見れなくて悔しかったんでしょうか。あの歴史的なパフォーマンス(ビートルズのルーフトップ・コンサートに匹敵するという声もあり)に、ご自分も本当は参加したかったのかも知れません。でも、警告書という形でしか参加できないのが、何ともお気の毒です。ただ、ルーフトップ・コンサートでは、通報を受け駆けつけた警官に覇気がなくて、ビートルズはがっかりしたといいます。その点、通報もないのに警告書を送りつけるルミネさん、やる気満々さが伝わります。お陰様で先月はベルク史上最大の売り上げになりました。盛り上がりました。本当にありがとうございます!>

(井野朋也)

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by bergshinjuku | 2011-01-26 23:37 | 店長ブログ
【店長ブログ】  井野碩哉と私
井野碩哉(いのひろや)のアルバム


井野碩哉と私

1960年(私が生まれた年)、アメリカとの軍事同盟=安保に反対する33万人の市民が国会を取り巻いた映像などを見るたび、心情的には私も取り巻く側にいるのだが、取り巻かれた国会の中にうちのじいさんと岸信介とガードマンしかいなかったという話は知らなかった。爺さんの自伝によれば、226事件を想起し、死を覚悟したそうだ。

じいさんと岸さんが無二の親友同士というのはよく聞かされていた。死に際、じいさんは岸さんの手を握りしめたという。私もじいさんの誕生日の席で、このA級戦犯(と、つい左翼的に?お呼びしてしまうが)と握手したことがある。今や歴史上の人物だ。

じいさんも東條英機内閣の閣僚だったため、戦争責任を問われ、処刑されることを覚悟していた。自伝には、米軍に拉致された日に家族と「最後の別れ」をしたことが淡々と語られている。胸に迫るものがあるが、ウィキペディアには、賀屋興宣とうちのじいさんが拘置所で囲碁を楽しんでいたエピソードも紹介されており、大物だったんだなーと思う。農林大臣というポストが幸いしたのか(農林大臣の立場から、「米がもたない‥」と戦争に消極的発言をしたというあくまでも身内の証言もある)、じいさんは戦犯にならなかった。監禁生活は一年に及んだが(横浜刑務所→大森の俘虜収容所→巣鴨拘置所)、釈放された。

自分のじいさんとは言え、知らないことばかりだ。自伝を残してくれたことに感謝している。日本橋の兜町で産声を上げたとか、へぇと思う。金融市場のど真ん中じゃん!当時(明治24年)は下町情緒も残っていたらしいが。井野家は元々三重の酒蔵だったというのも目を引く。今でも残っているのだろうか?じいさんの両親がそこを飛び出したあたりから、自伝は始まっている。

私にとってはただのじいさんと言いたいところだが、幼い頃から雲の上の存在だった。国会の質疑で女性問題を追及され毅然とした態度で答えたとか、新宿紀伊国屋書店の創業者田辺茂一と女をとりあったとか、長男(井野隆一)が共産党に入党し、やめてくれと土下座したとか、酒好きで甘いものにも目がなかったとか(父はそれを味音痴とバカにした)、子供心にもそれらのエピソードを微笑ましく頼もしく聞いたが。三重の亀山にお国入りした際には、幼い私も同行し、地元の新聞の一面に一緒に載ったらしいがよく覚えていない。また私が小学校の頃運動会をボイコットし、じいさんがただオロオロして、あんなじいさんを初めて見たと母は言っているが、幽かにしか覚えていない。

私自身の思い出らしい思い出と言えば、大学浪人時代にじいさんの家の離れに一年間居候させてもらい、最晩年のじいさんと毎日夕食をともにしたことくらいだ。当時じいさんは86、7だったとは言え、十代の私にはまだまだ威厳がありすぎで、面と向かうと汗がやたら吹き出た。「暑いのか?」と聞かれたこともある。まあでもほとんど無言の食事だった。「天皇陛下の夢を見た」と言ってご機嫌な日もあったが。今だったら色々なことが聞けるのに!ただテレビが常に爆音状態で(耳が遠かったから)、会話どころではなかった。横には、世間的には「お妾さん」の実質的奥様Jさんがいらした。

うちのばあさんはどこだったかと言うと、精神病棟でベッドに縛られていた。むしろ私はばあさんとの思い出のほうが豊富だ。幼い頃、とても可愛がられたので。人と会うたび、私の肌のきめ細やかさを自慢した。男の子としては複雑だった。母には、よくばあさんの操縦法を聞かれた。勿論、ばあさんが私の言うことを聞くのは私が孫だからだ。既にボケが少し進行していたばあさんを小学生の私はよくからかった。それがばあさんのツボにはまったようだ。ばあさんの葬式の日、喪主の挨拶で私は母と私たち兄弟以外誰もばあさんを見舞わなかったと親戚をなじった覚えがある。

じいさんは死後の配慮もした人だから、Jさんはきっとどこかで不自由なく暮らしたのだろう。ただ、じいさんの葬式でお焼香の列の最後にJさんがいるのを見つけ、今し方まで身近で献身的にふるまう姿が目に焼き付いている私としては、何とも言えない気分になった。後に戸籍制度に疑問を持つ最初のきっかけだったかも知れない。10年近く前、迫川と地下鉄に乗っていたら、Jさんをお見かけし、声をかけると涙を流して喜んで下さった。Jさんは昨年、百いくつかでお亡くなりになったと風の便りで聞いた。

じいさんの家の階段を上ると(このお屋敷は今はもうない。ただ夢には細部まではっきり出てくる)、正面に中村彝の描いたヒーじいさんの肖像画とヒーばあさんの肖像画が並んで掛かっていた。頼まれて描いたものだろうし、当時は誰の作品とも思わなかった。「エロシェンコ像」で衝撃を受けるまでは。ムービーでは、その肖像画もご覧いただける。新宿中村屋の裏の2階にまだ「一介の貧乏画家」として暮らしていた彝は(中村屋のご主人夫妻は多くの芸術家を支援した)、じいさんのお兄さんと仲がよく、その関係で絵を描いてもらったらしい。じいさんは一週間自分の父親の写真を持参し、彝はじいさんの顔と写真を見比べながらヒーじいさんの肖像画を描いた。またヒーばあさんの肖像画は、モデル自ら2週間通って完成した。

新宿ステーションビル(現ルミネエスト)は、うちのじいさんと幼なじみの浜野一郎(茂)が2人でつくった日本最初のショッピングモール駅ビルだ。じいさんは初代社長になった。自伝に、駅ビルの3原則があげられている。

一、地元の中小企業を圧迫しない。
二、駅ビルを利権の対象としない。
三、公共性を尊重する。

今でも守られてほしい理念である。

(井野朋也)


音楽 by 井野朋也

◎ムービーに登場する歴史上人物、歴史上事件たち
の人物たち
井野碩哉(井野朋也、のらかば、愛染恭介のじいさん) ウィキぺディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E9%87%8E%E7%A2%A9%E5%93%89

安保闘争 ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E9%97%98%E4%BA%89

中村彝 ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%BD%9D

岸信介(安倍晋三のじいさん) ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E4%BF%A1%E4%BB%8B

吉田茂(麻生太郎のじいさん) ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E8%8C%82

木戸幸一 ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%88%B8%E5%B9%B8%E4%B8%80

極東国際軍事裁判(東京裁判) ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%9D%B1%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E8%A3%81%E5%88%A4

佐藤栄作 ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%A0%84%E4%BD%9C

河野一郎(河野太郎のじいさん) ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E4%B8%80%E9%83%8E

東條英機 ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%A9%9F
東條は、映像にも出てくる巣鴨拘置所で処刑された。現在の池袋サンシャインシティである。

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by bergshinjuku | 2011-01-22 13:54 | 店長ブログ
【速報2】 定期借家制度見直しの第一歩へ
インターネット中継 2010.10.28 法務委員会


定期借家制度見直しの第一歩へ

10月28日、参議院の法務委員会において、
中村てつじ民主党議員が「新宿ベルク問題」にふれ、
定期借家制度に関する質問をされました。

「普通契約から定期契約への切り替えの強要に応じる
義務はない」とする黒岩たかひろ法務大臣政務官の
ご答弁を、かみしめるようにうかがいました。

ベルクに限って申しますと、ルミネさんは「定期への
切り替えを(現在)強要していない」とおっしゃるかも
知れません。しかし、現在、私どもに「契約破棄」を
突きつけられているのは、私どもが切り替えに応じな
かったからではないでしょうか。それも「強要」にあた
るのではないでしょうか。

もちろん、「切り替えに応じなくていいかどうか」という
質疑応答そのものは、定期借家制度の原則を確認する
のみで(弁護士もしなくていいと答えます)、根本的な問題
にまで足を踏みこんでいません。

根本的問題とは、今や家主の立場が強い場所ほど(新規)
テナントの営業権が守られないという矛盾、個人で新たに
飲食店を開こうとした場合に大きく立ちはだかる問題です。

ただ、今まさに家主から定期への切り替えを求められている
既存テナントにとっては、大きな励みになるはずです。

また、定期借家制度のあり方を見直す第一歩になればと願わ
ずにはいられません。

ベルク店長 井野朋也


映像 by 迫川尚子
音楽 by 井野朋也


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by bergshinjuku | 2010-10-30 18:27 | 店長ブログ
【店長ブログ】 中央線/店長の携帯写真
中央線/店長の携帯写真



JRとケンカばっかしてないでぇ!と
ある鉄道写真家からお叱りをうけました。
いえ、ケンカしてるわけじゃないんです。
心外だなぁ。

井野朋也


写真 by 井野朋也
音楽 by 宮沢和史
演奏&歌 by 矢野顕子

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by bergshinjuku | 2010-10-29 00:15 | 店長ブログ
【店長ブログ】 罰則・罰金、表現の自由について
迫川尚子写真展『おまつり'10.918』


表現の自由について


罰金というのは、国(裁判所)が法に則って決めるものであり、個人や企業が勝手に決めるのは、違法行為でやってはいけないことだそうです。

ルミネさんが勝手に決めた(防災の)罰則・罰金ですが、先日相談した弁護士からは、こんなの聞いたことない、ありえないと言われました。

こんなのが通るにしても、合意がなければダメ。合意がなくても、合理性(誰が見ても納得がいく)がなければ
ダメ。例えば、火事を起こしてはいけない、とか。

それにしても、罰金をとるのはおかしい。せいぜい、警告や注意。罰金をとるのは法律違反。管理権の乱用にあたるそうです。

面白かったのは、法的には私たちはルミネに「従属」しているそうです。つまり、売り手と買い手だったら、立場が逆転することもあり得ますが、家主と借家人の場合、立場が逆転することはまずない。ベルクがルミネの家主になることはまず考えられませんね。法的にはそういう関係を、つまり家主と借家人の関係を「従属」関係と呼ぶそうです(心情的には、ベルクはルミネの従属物じゃない!と叫びたいところですが、立場的には、圧倒的に弱いのは確か)。

経営者と労働者の関係もそうです。

従属関係にあるからこそ、家主は借家人に勝手なルールを強制できない、というのが法的な考え方なんですね。特に、罰金というお金にかかわるルールは認められないそうです。だから、経営者が遅刻したアルバイトから罰金をとるのも(一時間遅刻で一時間分の給料カットなら、罰金ではないが)、法的には認められない(法的に争われれば、経営者が負ける)。

国家権利じゃないんだから、と弁護士は笑ってました。でも、これが国鉄さんの体質なのでしょう、と。

映像でご覧のように、ルミネエスト営業部の説明によれば、この罰則・罰金はルミネエストだけでなく、ルミネ全体で決まったそうです。要するに、ルミネ全体の問題ということになります。


ベルク店長 井野朋也

◎ルミネさんからの通達=新規罰則、罰金が認められない理由
http://norakaba.exblog.jp/15156522/

◎新ルールに抗議
http://norakaba.exblog.jp/15034597/

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by bergshinjuku | 2010-10-26 01:36 | 店長ブログ
【店長ブログ】 お知らせ
お知らせ

先日、ルミネさんから私宛てに通知書が届きました。
内容は、2011年の3月中に出て行って下さい(ベルクとの契約は解約)というものでした。

それだけです。相変わらず理由は何一つ書かれておりません。

ベルク営業継続の請願書には、1万5千名以上の署名が集まりました。ルミネさんも、それを受けて「遺憾ながら(立ち退きは)延期」とされました。しかし、その延期も来年の3月まで。2年延期してやったということでしょう。それがルミネさんのお答なのかと思うと残念でなりませんが、私どもも「はい、そうですか」というわけにいかず、来年の3月以降も営業を続ける所存です。

ところで、通知書の差出人が、前回はルミネエストの責任者でした。今回は株式会社ルミネの社長になっています。それが何を意味するのか?

私どもも宛先をルミネ社長に変え、前回署名していただいた方にもまたあらためて署名していただけるよう、請願書を作り直そうと考えております。

今後とも、何とぞよろしくお願い申し上げます。


ベルク店長 井野朋也


お問い合わせ先↓
ルミネさん
https://www.lumine.ne.jp/info/doui.html


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by bergshinjuku | 2010-10-09 10:15 | 店長ブログ
【店長ブログ】  宮下公園って今どうなってるの? #dig954 #954 #tbsradio #miyashita
TBSラジオで、社会学者の宮台真司さんが、行政の勝手な判断でナイキパーク化されようとしている渋谷の宮下公園について、公園=都市のすきまという視点から、興味深い解説をされています。隙間を許さなくなった(管理責任が問われすぎる)社会。

あなたはどうお考えでしょうか?是非お聞き下さい↓(井野)

http://podcast.tbsradio.jp/dc/files/miyadai20100917.mp3

TBSラジオ  ニュース探求ラジオ DIG
放送後記 9月23日(木)「宮下公園って今どうなってるの?」
http://www.tbsradio.jp/dig/2010/09/post-391.html

<おまけ映像>公園は誰のもの?
http://zoome.jp/whiteproduction/diary/242/


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by bergshinjuku | 2010-09-25 01:25 | 店長ブログ
【店長ブログ】 ルミネさんからの通達=新規罰則、罰金が認められない理由
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B2トイレ付近の蛍光灯安定器。18日の午後2時半頃、ここから煙が出た。本当に「危険」はなかったのだろうか?


ルミネさんからの通達=新規罰則、罰金が認められない理由


商業ビルにおきまして、衛生管理や防災管理は本来、お客様や従業員の身を守るためにあるものです。
ところが、あんまり重箱の隅をつつくように、罰則、罰則、罰則、罰金、罰金、罰金とビルから突きつけられますと、しだいに何のための管理かわからなくなってまいります。
先日、ルミネさんから、テナントへの罰則がさらに増え、罰金がさらに重くなるという通達がございました(24日に説明会も予定されています)。今回も、私どもは「ちょ‥ちょっと待って‥」と申し上げざるを得ません。罰金の中には、「100万円」とか「契約解除」といった数字や言葉もございます。そ、その目的って、お客様や私どもの身の安全?それとも、見せしめ?復讐?まさか、お金?
罰則の内容だって、かなりあいまいなものがございます。例えば、「ぼやにいたらぬ危険な事故の発生/初回から罰金50万円」とございます。これって、誰にとって?どういう?
と申しますのも、先日、9月18日、ルミネエストB2のトイレ付近の天井から白い煙と異臭が出て、ビル関係者が消火器を運び出す騒ぎがございました(このような騒ぎは、今回で私どもの知る限り2回目です。初回ではありません)。目撃者によれば、「爆発するんじゃないか」と「身に危険を感じた」そうです。お客様の誘導もなく、後からわかったことですが、煙探知機の作動もなかったとか。
防災センターに問い合わせましたところ、コイエさんという方が出て、「ビルが古いから」とおっしゃいました。ルミネエスト営業部タカノさんのご説明によれば、「照明の老朽化によるもの」だそうです。それで、そんなに白い煙と異臭が出る?と思わなくもありませんが、疑ったらキリがありません。
確かに古くなった電気器具がショートすることは十分ありえます。ただ、その場で少なくとも「危険」を感じた方がいらっしゃる訳ですし、騒ぎにもなった訳ですから、それに対してビルから何らかの説明なり謝罪があってもいいのではないでしょうか?それともビルが「危険」でないと判断すれば、それですむ話なのでしょうか?
マイシティ時代は、ビルのメンテナンスによる全館休業日が年に2回(元旦を含めると3回)ございました。オーナーがルミネさんにかわってから、その全館休業日が(大晦日を除くと)なくなりました。今回起きたのが単なる電気器具のショートだったとしても、それでさえマイシティ時代には聞かなかった話ですし、それこそ古いビルです。今後、大丈夫だろうか?うちの副店長が営業部に電話でうかがったところ、出られたのは針谷さんという方で、「ビルテック(子会社)におまかせしてあります」というご説明でした。こちらの不安は少しも軽減されませんでした。
ビルによる衛生検査も、また詳しく書きますが、おかしいと感じるのはうちだけではないようで、保健所の基準をクリアしているのに悪い点数をつけられ、抗議したテナントがございます。ルミネさんの決め台詞、「決めるのは、館(=ルミネ)です」で一蹴されたようですが。
だとすれば、テナントが単なる電気器具のショートで煙を出して、すぐ対処したとしても、ルミネさんが「危険」とおっしゃれば、初回から罰金50万円(その罰則を認める以上)売上収納金から自動的にとられることになります。ですから、「衛生管理や防災管理の徹底化」にはもちろん賛成しつつも、新たな罰則、罰金を認めるわけには断じていかないのです。


ベルク店長 井野朋也

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by bergshinjuku | 2010-09-20 22:46 | 店長ブログ