井野碩哉(ひろや)と戦争
今月のワインリストの写真は、どーんと井野碩哉(ひろや)農林省局長時代の肖像。お客様からこの男は?と問い合わせもちらほらございます。せっかくなので、井野碩哉について少々。 私の祖父、井野碩哉の自伝「藻汐草」で、歴史的資料としての価値があるのは、やはり日米戦争(第二次世界大戦)に関する記述だろう。じいさんは元東條内閣閣僚という戦争を始めた側の人間だから、戦争については何を語っても言い訳にしかならん。と思う。例えば、軍の暴走を苦々しく指摘するが、止められなかったんかい?!とツッコミ入れたくなるし。ただ、戦争の背景には「昭和恐慌」があり、それは私も歴史の基礎知識として頭にある。自伝ではこう語られている。軍とは、つまり農村のせがれたちなのだ、と。自分の家族がいくら米を作っても米が食べられない。姉妹が身売りして家族を支える。そんな状況に彼らは「動揺し」ていた。じいさんは、当時の政治について「政府は無為無策で、政党は己れの権益をむさぼることのみで国政を顧みない。特に政友会と民政党は政権争いに血道をあげ、国政の大綱である経済問題、特に農村問題が悪化の一路をたどりつつあっても、放置状態であった」と嘆く。 じいさん自身はどうだったか。一言でいえば、「統制経済の旗手」で、業界の反発にあいながら市場への介入をあれこれ試みる政治家だった。「民間に自由放任にすると、生産は計画どおりに進まず、配給も公平を欠く。」とは言え、どう手を打っても焼け石に水なのが「恐慌」の「恐慌」たるゆえん。 満州国建国には直接関わらなかったが、不況打開になればと期待し、ある程度効果があったと評価もしている。確かに、満州国は急激に増加する貧困農民の受け皿にはなったろうが、一方で「日本国内における青年将校たちの不満のはけ口のあらわれであった」ことも無視できない。軍は満州国の内政に干渉し、中国への侵略を進めていった。自伝にもはっきり「侵略」とある。軍のクーデターであった、とも。軍が他国に足を踏み込れたのだ。そりゃいきさつはどうあれ、外から見れば(内から見ても)りっぱな「侵略」だろう。 中国への侵略をやめない日本を欧米は叩いた。日米戦争をかいつまんで説明すればそういうことになる。そりゃ、ヨーロッパだって植民地があったわけだし、国家どうしで領土をとりあったわけだから、日本だけを悪者にするのはおかしいかも知れない。が、近代戦の実態が無差別大量虐殺であることに変わりはない。国家にどんな「思い」や「事情」があろうとも、殺されるのはその土地の住民であり、徴兵された兵士たちである。だから私はあらゆる国家に対して戦争反対の立場をとる。 そのことを踏まえた上で、じいさんの自伝を読む。興味深い点はいくつかある。まず、じいさんが戦争に消極的だったのは確かだ。戦前、これは「極秘情報」だったらしいが、近衛首相とアメリカのルーズベルト大統領の太平洋上の会見が予定されていた。それが実現されていれば「と、私は今更ながら残念でならない。」じいさんの見解では、宋美齢(蒋介石夫人)の横やりが入り、それが会見が流れた「原因のひとつ」になった。「日本はなんだかんだ言ってるが、侵略戦争をやめる意志はありませんよ」と米国に吹き込んだというのだ。 とは言え、日本中がすでに開戦のムード一色だった。じいさんはそれも戦争の原因にあげている。政治家として無責任な態度にも思えるが、まあファシズムとはそういうものだ。どんなに正論っぽく思えても、世の中がそれで一色になるということ自体、危険なことだ。今の日本にもその気配はある。気をつけねば。 しかし、総理に陸軍大臣の東條英機が任命されたのが何より決定的だった。彼を推薦した木戸幸一に、じいさんは真意を尋ねた。陸軍大臣なら軍の意向に従う、しかし総理なら他の色々な意見に(当然、交渉論もあった)耳を傾けなければらならない。それで「彼の開戦論の矛先が鈍るのを狙ったのさ」というのが木戸のよみだが、はずれた。 また開戦について、じいさんは昭和天皇に農林大臣として意見を求められている。「3年間はだいじょうぶであります」と答えてしまった。いや、全閣僚が天皇にはっきりと反対意見を述べられなかった。自分たちの責任だ、とやけにしおらしい。天皇崇拝者だったせいか、どうも天皇には何の非もなかったとかばっているフシもある。私が反天皇制だからそう思うのかも知れないが。 敗戦直後、臨場感あふれるシーンがある。ラジオで戦犯容疑者の指定発表があった後だ。知人に「大事なときに使ってください」と渡されたものがある。何だかわからないけどありがとうと礼を言って、帰宅してくつろぎながらあけてみると青酸カリだった。その夜、じいさんは役人時代からの恩人、石黒忠篤に電話している。ラジオでは、まさに文相が青酸カリで、厚相が割腹で自殺したことが報じられていた。私も今、と相談したのだ。石黒は「馬鹿野郎!」と怒鳴り、開戦前から閣僚をしていた人間が何を考え何をしたのか、堂々と説明してから殺されればいいと叱ったという。 獄中のエピソードは、不謹慎だがモノクロ映画を見るようだ。ここでどのくらい拘束されるか、じいさんと賀屋興宣は賭けをしている。二人は何かと言えば賭けをした。敗者が勝者にタバコ(1日3本支給される。ちなみに銘柄はラッキーストライク)を譲るのだ。賀屋は「まあ、十年ぐらいだろうね」とあっさり答えた。じいさんは楽観論者賀屋らしい発言と思った。当然、刑死を覚悟しているからだ。しかし百歩譲って「終身懲役」とした。 そんなことで気をまぎらわせなければいられないほど獄中生活は退屈だった。じいさんが獄中で賀屋や巨人軍オーナー(読売社主)の正力松太郎と碁に明け暮れたのは有名な話だが(その棋譜は、雑誌「棋道」に掲載された)、碁盤と碁石を差し入れてもらうには、アメリカの将校にジェスチャーまじりで伝えなければならなかった。 夜は賀屋のいびきに悩まされた。本人に了解を得て、彼の足に紐を結んだ。寝台は離れていた。賀屋がいびきをかきはじめると、じいさんは紐をひっぱった。いびきは一時休止した。 話題が尽きると女の話になった。ある日、賀屋がさっぱりした顔で「井野君、女に会ったよ」と言う。「どこで?」‥そのまま引用する。「いや、女の理髪屋なんだ。やはり男とは違ったものを感じるなあ」賀屋氏は眼を細めて満足そうだった。今度は私の番だ、なんとなく胸が躍る。急ぎ足で飛び込むと、そこに六十近い婆さんが待っていた。やがて部屋に戻った私は、やはり女に接したという気持ちに充たされてきた。賀屋氏と私は、微笑してうなずき合った。‥ 東條のピストル自殺未遂事件は狂言説が根強いが、じいさんは東條が医師に頼み心臓の位置に印をつけてもらったという話を獄中で本人から聞いている。死ねなかったことを「運が悪かった」と恨む東條に嘘はなかったとしている。 戦争から少しはなれたエピソードも2、3紹介しよう。 じいさんは最初、大臣のポストを「親の遺言」という理由で断った。よく使う手?いや、じいさんのお母さんが、息子の写真をある骨相学に秀でた高僧に見せたところ、「おもしろい骨相だ。大臣かそれぐらいの地位につく」と予言されたそうだ。お母さんは喜ばなかった。五・一五事件、二・二六事件で大臣が殺されるのを見ているから。死ぬ前に、農林次官になったばっかりのじいさんに「大臣だけにはなってくれるな」と言い残した。「心配はいりません。なれっこありませんから」そう答えたそうだ。 じいさんは、自民党の言わば遊び部門顧問だった。元々、じいさんの両親は株の相場師(仲買人)。兜町で店を開いて当てた。と言っても、手数料だけでは経営が成り立たず、自ら相場を張った。使用人たちも右にならえで、一発儲けると一晩でパァ~ッと使った。ところがじいさんのお兄さんは厳格な人で、遅くなると店の戸を開けなかった。困り果てた道楽者たちは、幼いじいさんを連れ出すようになった。弟が一緒では、お兄さんもしぶしぶ戸を開けざるを得ない。その頃から花街はじいさんの安らぎの場だった。 大臣になって、みんながちやほやしてくれるのは悪くなかったが(そう思えるのも最初の一週間)、一番難儀なのは護衛をつけられたことだ。自宅の門前に「交番のようなものをつくって、二人で日夜交代で番をしてくれる。車で行くときはいっしょに乗ってくる。そんな調子で護衛は一時も離れない。」だから夜遊びするには、護衛をまかなければならなかった。 気が合ったのは、道楽仲間の有馬頼寧。「殿様ながら、プロレタリア思想を理解し、庶民的で、日比谷公園の草むしりまでやった人」「貴族院議員だがリベラルな思想家」。じいさんの自伝に「プロレタリア思想」という言葉が(好意的に)出てくるのにはビックリした。ただ昔は、体制側でも経済をやる人は‥特に「恐慌」問題は‥マルクスを避けて通れなかったというから、不思議ではないのかも。 じいさんの道楽は酒や芸者遊びだけではない。ゴルフにテニス、野球、競馬と多岐にわたった(自分でゴルフ場や競馬場をつくったほど)。ゴルフ発祥の地と言われるセント・アンドリュース・ゴルフ場(ロンドン)の前を通りかかったとき。じいさんは中にいきなり入り、ゴルフをやらせてくれと頼んだ。案の定、予約でいっぱいだった。日本にゴルフを普及するからとか何とかダダこねて(日本ではまだ一般的じゃなかった)ゴルフ場のマネージャーを困らせるが、一緒にいた木戸幸一が「お昼休みはないの?」と機転をきかせた。お昼はつかの間だが、あくとのこと。やっと許可を得て、二人で飛ぶようにコースに出た。そこで棒がふれさえすればよかった。にもかかわらず、じいさんは木戸のゴルフに「おもしろくない」とケチをつけている。「少しもミスがない」と。ゴルフとは、相手の失敗に爽快感を覚えるものだ、と妙な持論(負け惜しみ?)を展開している。まあ、道楽者と言えば道楽者らしい発想だ。当たっても外れても豪快にいきたいのだ。日本人の身体にセント・アンドリュース・ゴルフ場は大きく、なおさら木戸のゴルフがちまちま見えたのかも知れない。キャデーに子供と間違われたとか。昭和天皇はその話にメチャうけたそうだ。 井野碩哉と言えば、国会で女性問題を追及された大臣として有名だった。じいさんには懇意の芸者さんがいた(晩年、事実上の妻になった)。それは大臣としてふさわしいことなのか?品位を問われたのだろうが(じいさんによれば、失脚狙いだった)、じいさんは「プライバシーの問題」と突っぱねた上で「人情の上から、今更やめることもできない。東條氏からは、できたら別れてもらいたいという話があったが、私は別れるくらいなら農林大臣を辞めます、と言ったことがある」と開き直った。大臣より女をとるのか?不真面目だと問題にされてもおかしくないが、「おもしろい男」という評価に落ち着いた(失脚もしなかった)のは、人徳(キャラ)なのか?時代なのか? じいさんのつくった競馬場とは、大井競馬場のことである。じいさんが初代社長だった。そのときの経験が、新宿駅ビル(現ルミネエスト)創設時にも生かされた。例えば、歩合制の家賃とか‥競馬を運営するのは競馬場自身ではなく、公共団体とか地方団体である。駅ビルで商売するのはテナントだ。テナントにしてみりゃ、家賃が固定でなく歩合なんて、商売なめてんのか!と言いたいところ。ただじいさんも必死で、近くに停車場つくったり、公平な運営を心がけて馬主の信頼を得たり、全体のレベルアップにつとめた。売上も飛躍的に伸びた。必然的に競馬場の収入も増え、施設を更に改善・増設することができた。それなら(つまり、多く取られてもちゃんと還元されるなら)納得がいく。 じいさんから受けたアドバイスが一つだけある。よく遊べ。でなければ、よく働けない。じいさんの人生そのものを表す言葉である。 (ベルク店長 井野朋也) ![]() 井野碩哉(いのひろや)のアルバム http://zoome.jp/whiteproduction/diary/380/ 賀屋興宣(ウィキペディア) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E5%B1%8B%E8%88%88%E5%AE%A3 石黒忠篤(ウィキペディア) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E9%BB%92%E5%BF%A0%E7%AF%A4 有馬 頼寧(ウィキペディア) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A6%AC%E9%A0%BC%E5%AF%A7 ![]()
by bergshinjuku
| 2011-02-16 01:34
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