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【店長ブログ】 原発の3つの条件 ー日本をベルク化しよう!
原発の3つの条件
ー日本をベルク化しよう!


ルミネさんに提出する(先月の予定でしたが、今月中に延期いたしました)「ベルクの営業継続を求める請願書」には、東北からも多数の署名をいただきました。ですから、今回の震災はなおさら他人事ではなく、やりきれない気持ちです。
当店ベルクでも、ささやかながら東北のお酒フェアを企画したり、お客様からお預かりした義援金をお送りしたり、店の食材をなるべく救援物資にまわしたりしております。少しでもお役に立てればいいのですが。

原発のことも、心が痛みます。
まずは、地元の方たちの生活の見通しが1日でも早くたつこと、そして、事故の収束に向けて日夜全力で作業にあたっていらっしゃる方たちのご無事を願わずにはいられません。
それ以上のことは口にすべき時ではない、とも思いましたが、今原発のあり方について問わなければ、そのチャンスを逃してしまう気もして、私なりに思ったことを書かせていただきます。

私たちの生活も、ベルクという店も電気なしには成り立ちません。「原発のお陰だ!」といわれればその通りで、足を向けて寝られない気もいたします。

ただ、原発には今回の事故も含め、複雑な思いを抱かざるを得えないのも事実です。その存在にどこかゴーマンさを感じるのは、今の文明が永遠に続くという前提でつくられているからかも知れません。もし、この文明が滅び、人類が新たに別の文明を築いたとしても(何万年という単位で考えれば、十分ありうることです)、原発の後始末だけは消えずに残る可能性が高い。私たちは、どうやら核廃棄物の管理を子孫に一方的に(承諾もなしに)押し付けるかたちで原発をつくってしまったようなのです。

原点に戻って、原発設置の条件を…今後、事故を絶対起こさないという言葉をぐっとこらえて、せめてこれだけはというのをあげるとすれば、次の3つになるでしょう。

まず、1つめ。核廃棄物の処理問題を解決する。
後世に面倒をかけないようにするためには、原発から廃棄物が出た時点で、その状態を安定化させる必要があります。今の科学ではまだ不可能ですが。
原発推進の根拠の一つに、「科学は進歩する」という科学信仰があります。でしたら、十分進歩するまで待つより他なかった。これという確証もなく、いつか解決するという淡い期待のみで原発は見切り発車してしまったフシがあります。原発という科学技術は、いまだ未完成なままなのです(再処理施設も、かなり自転車操業っぽい)。
また、科学って、誰にも「応用可能」なのが魅力なのに、原子力産業は「核」が取り扱い次第で国レベル、いや人類レベルで脅威になるため、情報の共有どころか秘密主義がはびこり、一部の企業が技術を独占しています。ちっとも「科学的」ではありません。
また、ゴミを自然に還元するという「エコ」本来の目的からすれば、原発はエコでもありません。世間をたちまち「エコ」=「二酸化炭素を出さない」(=「原発」)一色に染めたここ最近の原子力産業のイメージ戦略(メディアへの影響力)は目を見張るものがありますが。ちなみに、二酸化炭素が増えるから気温が上昇するのか、気温が上昇するから二酸化炭素が増えるのか、その因果関係はまだはっきりしていません。

次に、2つめ。現場の叩き上げの技術者のみが最高責任者になる。つまり、(ベルクのような?)現場主義。
今の東電の対応を見ていますと、どこかの駅ビルを連想せずにはいられません。例えば、某ルミネ館内の通路でボヤ騒ぎがあった時、電話で問い合わせしましたら、そのお返事は「下請けの管理会社にまかせている」の一言でした。また店の天井内のクーラーを10年以上ぶりに交換しようとしたら、施設課のベテランが突然おやめになったとのことで、適切な助言をできる方が一人もいませんでした。(原発の)メーカーに勤務されていた大前研一氏によれば、電力会社はふだん下請けやメーカーを顎で使い、しかも使い回し感覚なので、いざという時、全体を把握できる人、責任をとれる人が誰もいない。そういう下請けまかせの企業体質は、臨機応変さに欠けるのです。特に、「核」のような危険物を扱う場合、それは深刻な事態を招きます。
何事においても、第三者的視点、客観的データは必要ですし、現場主義がオールマイティーというわけじゃありませんが、最後にモノをいうのは、やはり図面やマニュアルよりも現場感覚(熟練者の経験とカン)だと私は思います。すなわち、現場主義です。原発にもたくさんのベテラン作業員がおられるでしょうが、彼らに最終決定権はありません。また炉内で働くリスクがあまりにも高いため(短期間でも内部被爆の危険性あり)、責任者はどうしても遠隔操作で人を使い回しせざるを得ない面があります。

最後に、3つめ。地方に原発を巨額のお金で誘致しない。
まさに、「東京に原発を」です。
確かに、「便利な(都市)生活にリスクはつきもの」かも知れません。原発ともなると、そのリスクは計り知れないものがありますが(何しろ、そこから発生する放射能は自然界にないものなので環境にどう影響するか不明な点が多い)、それ自体はりっぱな考え方です。しかし、便利な生活とリスク(原発)をてんびんにかける権利だって私たちにはあるはずです。足元を見るかのように(交付金や補助金という名目で)お金が積み上げられ、地方の自治体が原発の立地に同意してしまうと、財政は当面潤うでしょうが、その土地に原発がリスクとセットでやってくることになります。お金の強制力はすさまじいものがあります。本来、かけがえのない農地や海まで売ることになるのです。そして、都市の人たちは便利な生活を当たり前のように手にし、原発の存在を忘れることができます。そうやって、いつの間にか原発はつくられてきました。つまり、誰も自らリスク覚悟で原発&便利な生活を選んでいないのです。それはやはりまずいのではないか。

どれも、今さらいっても遅いことばかりかも知れません。しかし、原点から問い直すことは、これから先のことを考える上で大きなヒントになります。
私自身の希望を申し上げれば、「安全」であろうとなかろうと、「エコ」であろうとなかろうと、先の3つの条件がクリアされるまでは原子力政策をいったん白紙に戻していただきたい。そして、原発をいったん全面停止の方向でご検討願いたい(安全基準を満たしていない原発は真っ先に!)。ついでに、自然エネルギーの研究や開発費のほうに私たちの税金をまわしていただきたい。

推進側には、ここまでやってきて今さら引き返すなんて、とんでもないという思いがおありでしょう。実際、原子力のような巨大産業をいきなり白紙に戻すのは、相当の決断力と覚悟がいると思います。
でもそうでもしない限り、なかなか次の展望が見えません。どうか勇気をもって、根本的なご再考をお願いしたい。

ただでさえ資源のない日本。原発まで失ったら国際社会(競争)から取り残されるという懸念も根強くあるようです。ただ、無責任な言い方かも知れませんが、競争から降りたっていいじゃないですか。この際、「成長し続ける経済」という脅迫観念をふりほどいてみては。どの道、利潤増殖型経済は世界的に行き詰まりつつあります
。企業優先の「新自由主義」も、格差を生んだだけです。日本の羨む中国の躍進も、終息は時間の問題です。アメリカは、最後の起爆剤として戦争(軍事産業の活性化)を起こしたがっています。そうした悪あがきに巻き込まれないためにも、日本はゼロ成長の助け合い経済で、そう、ベルクのように愉快に独自路線でまいりませんか?
原発がなくてもどうにかしましょう。
ベルクというコスト的にもスペース的にもめちゃくちゃ制約のある店で、毎日楽しいひとときを過ごさせていただいているせいか、どうも日本自体、創意工夫さえあればどうにかなる気がするのです。
楽天的すぎるかも知れませんが、もし、参考にしていただければ幸いです。

ベルク店長 井野朋也


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http://zoome.jp/whiteproduction/diary/415/

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by bergshinjuku | 2011-04-14 23:47
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